<高野町 続き>
女人堂
女人堂
 そして、女人堂。女人堂とは、女人禁制における山岳霊場の山麓に設けられた宗教施設で、登山礼拝が許されなかった女人たちの参籠したみ堂。高野山に限られたものではなくて、昔は修行の場であった山なり聖域であった寺社仏閣は女人禁制が多く、女の人は参拝できなかったのよ。これは山を開いた空海の母親であっても同様。
 昔、温泉山は修験道の山として信仰が深く、満明寺一乗院はその中心であったので、この霊山には千人もの僧が励んでいたと言われている。霊山への女人の登山が禁じられた地であった。ここに建てられた女人堂には多くの女人参詣者が参籠し、昼夜読経の声が絶えなかったと伝えられる。女性の高野山参拝が赦されたのは結構最近になってからですね〜。明治の頃はまだまだ入れなかったはずなのですが…(今度調べてみよう)現在でも、実はまだ女性が参拝できないお寺があるのです!(でもこっそり覗きに行った事がある…)
 女人禁制がどうして出来たかというと、「穢れ」の思想もそうなのですが、それ以上に修行者である男性にとって「性欲」という欲が女性と比較した時にかなり大きく、修行のネックとなるものであったからなのです。要するに、女に迷ってしまう事を極力避ける為…という意味合いもあるのですよ(^^ゞ本能的に仕方ないらしいのですが…(よく判らないのデス)
 道路を上がってくるか、ロープウェイを使わずに脚で高野山を登った時、本来一番最初に出迎えるのが、この高野山の大門です〜。左右に金剛力士像(法橋運長と康意の作)が仁王立ちする大門は高野山一山の総門で、ここからの眺めは素晴しく晴れた日には山越しに遠く瀬戸内海が望めるとか…(私は冬に行く事が多いので見た事ないけどね。春か冬にばかり行っているので、あまり天気が良い時が無かったような…)
  大門の高さは25.5mとかなり日本でも有数な巨大な楼門、現在の大門は宝永2年(1705)に再建されたものだそうです。

 私は建築に関する知識が全然無いので、よく判らないのですが、こういう門ってどうみても上に重心がありますよね?どうやって建てたのか、また重さをどう分散したらこんな立派で重そうな門がどーーん!と300年を超えて存在できるのか見当も付きません(>_<)
しかも二階建ての門(この言い方はきっと正しくない…でも正確な名称が判りません〜)ですよ〜瓦だけでも凄い重さがありそうなのですが…昔の技術って今とは別の意味で凄かったんだろうな〜と素直に感心してしまいます。二階の部分は部屋もあるらしく窓もあり大きな部屋のようになっているみたいでした。(上がれないのですが…)
大門
大門
高野マップ  ←図が簡単なのですが(しかも圧縮しちゃってよく見えない?!)高野山の地図です。高野山観光案内所でも簡単なリーフレットが貰えます。金剛峯寺などを参拝してももらえますよ〜。各お寺でそれぞれがつくっているので、微妙に違う部分を楽しむ…というのも時間があるならオススメです(^^ゞちょっと字がつぶれて見えないかしら?
  行ってみて、脚でまわるしかない部分もかなりあるのですが、高野山はだいたい東西に道路とお寺が集中しており、一番右奥が奥の院と大師廟となります。
  逆に、一番左手にあるのは「大門」となります〜(^^ゞ高野山にはホテル・旅館の類は一切ありません。宿泊施設としても、全て町にある「宿坊」のみとなります。宿坊協会に問い合わせてもいいし直接お寺に電話してもOK。全部で53もあるんですよ〜宿坊。夕食にお酒頼むと住職とか寺の坊さん達がお酌してくれまっせ〜なんだか怪しい雰囲気の中、精進料理と般若湯(酒の隠語)が頂けます。愉快です(^^ゞ 宿坊以外になっているお寺でも、事前に問い合わせておけば、参拝させてくれるみたいですよ。
 ちなみに、最近はネットでも宿坊の大きいところは宿泊予約なども可能となっております(笑)大体8500〜30000までと幅は広いですよ〜上げ膳据え膳なので楽はできますよ。個人的には、朝ご飯の前にある(大体6時ぐらい)朝のお勤めに参加されると、いい体験になると思います。お経が判らなくても大丈夫ですよ〜。でも1時間以上の正座が大変かな?!
霊宝館
霊宝館
 そしてこれが高野山の霊宝館。何かというと高野山がもっている仏教美術品などの博物館のようなものと考えて下さい(^^ゞ平安中期から開かれたこの高野山では、国宝や重要文化財が多いのでお寺では管理保存しきれないものを、ここで管理している…と言った感じです。
 ちなみにここは、高野山上の諸寺に属する文化財を収蔵展示するために、大正10年に開設されたそうです。霊宝館には国宝21件(4,686点)、重文142件(13,884点)、県指定13件(2,850点)が収蔵され、未指定品になると、その数五万点の収蔵量を誇るそうです。結構多いんですよ〜歴史あるので(^^ゞ特別展や常設展でその美と歴史を知る事ができると思いますよ〜毎回展示物がちょっと違うので、季節によっても展示品を変えているようでした〜。入館料は500円!(安いですよ、これは)平清盛が自分の血で書かせたという曼荼羅とかもありますよ。言われなきゃ判らないけど(苦笑)
 
 私が何度か行った限りの感想では、平安期のものよりやはり鎌倉時代の仏像が多いな〜といった印象があります。曼荼羅や派手めなモノは京都の「東寺」の方が実は多いかも知れません(^^ゞお寺の建立された目的が異なりますので、当然かな?

オススメ!高野山
コレだけは見ておきたい!☆その壱☆

根本大塔
 やって来ました、根本大塔です(^^ゞ
ここは数ある高野山の建物の中でも奥の院と並んで有名なもの。空海の密教思想や、曼荼羅の概念を立体的に表ものと言われ、真言密教の根本道場として建立され、高野山全体の中心をなすのが壇上伽藍で奥の院とともに高野山の一大浄域で有りその中心であるこの大塔の高さは 48.5mの威容を誇るそうです。この根本大塔は、多宝塔としては日本最初のもの〜。高野山の中心部には、大塔・西塔・金堂・御影堂・不動堂などの主要建築物が軒を連ねていて、このあたりは壇上伽藍とよばれております(^^ゞ
 高野山の伽藍は、密教教理に従って、金胎両部の根本大塔と西塔の二基の塔が中心であり、高野山真言宗総本山金剛峰寺の根本道場となっております。
大塔と御影堂  高野山へ行ったら、やっぱりここは見なくちゃ〜と思う所(私的見解)です(^^ゞ
初代大塔は弘法大師の誓願により819年に創建されはじめ、大師入定後は第二代座主真然大徳の代、仁和三年(887)頃に完成しましたと伝えられております…弘法大師こと空海が、存命中には完成できなかったのですが、その思想と使えたかった事は中に入ってみればきちんと実感できる世界となっていますよ。しかも拝観料100円という、まるでお賽銭のような値段で!(本当)
 御本尊は江戸時代の胎蔵生大日如来を中心に、四方に阿閼(アシュクと読みます)、宝生(ほうしょう)、阿弥陀、釈迦の金剛界四仏を安置し、周囲の十六本の柱には十六大菩薩を安置する(菩薩は柱に描いてあるのですよ〜)ことにより曼陀羅を立体に顕わしています。ここが凄いところです。また壁には、八祖大師(真言密教の教えを伝えたインド・中国・日本の諸大徳)描かれています。

 曼荼羅といえば、仏教画として見る以外の機会はほとんど無いかと思うのですが、ここではそれを仏像と柱に描かれた菩薩とで立体的に、まさにそびえ立っているので、自分もその立体構成された世界に溶け込める…と言った感じとでも言えばいいのかしら?曼荼羅とは本来の世界を上から覗き込むような構造をしているのですが、これはその世界観を肌で感じつつ見上げる事ができるんですよね〜。おのずと謙虚になります。これって不思議なのですが、この中で正座していると自分の小ささや無力さに、卑屈抜きで謙虚になれます(私だけかしら?)寒さに負けなければ(中がかなりヒンヤリしているので)何時間でも座って居たい気持ちにさせる所です。是非行って見てー!

ちょっとコラム…解説(?)
 伽藍について
 「伽藍」とは、サンスクリット語のサンガ(僧伽)アーラーマ(藍摩)の音訳、僧伽藍摩、僧伽藍の略である。サンガとは、「ブッダの教えを信奉する者たちの共同体」であり、アーラーマとは、動詞のアー・ラムから派生した語で「楽しむ場所」「休む場所」の意で、「僧伽藍」の原意は、「仏道修行者の集団が居住する場所」である。
インドの諸宗教の修行者達は、雨期の間は対外活動をせずに一定の場所にとどまり自己の研鑽や修行の反省を行う習慣があった、そして修行者が増えていくに従ってある程度の広さの場所施設が必要となり、信者達によって土地や建造物が寄進され「僧伽藍」が成立した。そして後に寺院の主要建造物群(道場)を意味するようになった
伽藍形式
 伽藍形式は、広く日本にもたらされた中世中国の寺院建築を模して建立されたもので、伽藍の中央に塔があり、それを取り囲んで東・西・北に3棟の金堂全体を回廊が囲むという朝鮮半島の伽藍形式がそのまま持ち込まれたと考えられます。総門・山門・仏殿・法堂を一直線上に配列し、左右に僧堂と大庫裏を置き、加えて四周を回廊で結ぶなど、いかにも厳粛且つ整然たる伽藍構成である
代表的な配置図はこんな感じになります