本宮から、熊野川の濁流と滝のような崖からの雨水と〜ダムの警戒水域を越えた事による 「パウォ〜プヲォ〜」なんていうけたたましい警戒のサイレンから逃げるかのように新宮へとやって参りました。 ここは、あの有名な童謡「鳩ぽっぽ」の歌が作られた事とか、徐福の渡来伝説とか、お墓がある事などで有名。 もちろん熊野三大社の一つ「熊野速玉大社」が鎮座している。本宮が山的な性格が強かったのに対し、 ここは海辺…特に開かれつつも海によって遮断された世界観のような、不思議な信仰がいくつも存在しているのですよ。 海流が早く荒れやすい熊野灘と、紀伊山脈に遮られた地域故の世界観でしょうか? |
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で、なんでこの新宮で「IT」の県境かって言うとさ、ここ二日宿泊したんだけど、例の大雨で(あの名古屋が沈んだヤツ) ほとんど外を歩いたり出来ず、ダラダラしてても仕方ないし(本当は阿須賀神社とか浮島の森とかも行きたかったが) 私はノートPCで写真の整理とWEBとメールでもやろうかと思ったら!!あり〜?!なんとネットに接続出来ない?! 仮にもビジネスホテルなんですけど、電話が外線に一切つながらず(0発信とかそんなん以前に) フロントにしか繋がらない電話って…何の為に??とりあえずフトントに問い合わせてみてもー 「は?パソコンで通信ですか??さ〜判りませんねー」モジュラーの付いたカード電話(灰色の公衆電話ね)は この辺にないかとと訪ねても「わかりません」の一言…一体どうなっているのかしら?? かなり駅前つーか本当に駅前ロータリーの一角に建っているホテルなんだけど〜これは何?? 悔しいから、名前もバラしてやるぅぅ〜その名も!「ホテル徐福」ここに泊まる事になったら…涙 駅前のパチンコ屋も7時には閉まっちゃうし(行ったことないけど)、飲み屋でさえ9時閉店…東京都民にはかなり 信じられませんでしたとも!高野山とかじゃあるまいし、ここ和歌山県の普通の一都市でしょう?! 仕方がないので、ドコモショップ探してPHSでも買うしかないかと思ったら〜なんとPHSは県外(駅でしか通信不能)とか 言われてしまい、もうノックアウト☆!和歌山市内はちょうど紀伊半島の反対側だけど〜これはあんまりでしょう。 でも、調べてみたけどこっちの熊野方面って携帯もPHSもかなり圏外でした(^^ゞ 一応、私の携帯はJ-PHONEだったんだけどさー、電話とかメールは出来るんだけど…9600bpsなんかで通信… する気にもなりません!通話料がかかるだけじゃーー!!(爆) 電気屋っていってももちろんヨドバシみたいな規模の店なんてなくて、ノートPCと携帯電話の通信ケーブルさえも 取り寄せでないと無いとか言われてしまい、もうギャフン!こっちだって9800bpsなんて耐えられない速度なのに それすらも無いとは、これ如何に!ITってさ…国境ないっていうけど、県境あったよ。 今だって石川県の恥が日本の恥だし(^^ゞ←森ソーリの事ね〜(覚えてる?) 和歌山の企業がHPほとんど開いてないつーか持ってない訳だよね。普及率むっちゃくちゃ悪いし… こーゆ〜所もあっていいんだろうけど、どうなんでしょうね?地元の人が不便でなければ問題ないんだろうけどさ |
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これが新宮市の拡大マップ! 速玉大社の場所や駅と神倉神社の場所対比などに役立つかな?(見えにくいかも) 熊野には徐福の伝説が多くて(全国的にも多いけど)福建省を出発した徐福が黒潮にのって、この新宮付近に辿りついた、というか漂着したっていうのは、かなり信憑性高いと私は思う。海流的にも方角的にも地形的にもここなら納得できますわ。 蛇足ですが、徐福 が日本に来たのは、皇帝の勅命を受けて「不老長寿の薬」を探して来いと言われて、旅に出たら日本に漂着したらしく、日本に中国の医学や建築技術などすぐれた(ある意味当時の中央より)文化や技術をもたらしたと言うもの。 |
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求めた薬は「天台烏薬(てんだいうやく)」という、植物だったようです。 これの鉢植えや、お茶などが「徐福公園」などで売られております(^^ゞ この徐福公園では、徐福研究の硬い本にならんで、鳥羽一郎が歌った「徐福夢男/徐福音頭」(北京語対訳詩付)というCDがあったのですよ!作詩・星野哲郎/作曲・中村典正で1994.2.21年に発売されたそうですが、残念ながらヒットはしなかったらしい…ある意味凄いインパクトのある歌なので大笑い間違いなしなヒット曲でしたがね…買ってこなかったのが悔やまれます(苦笑)まだ売ってるかしら?「我が青春の天台う〜や〜くぅぅぅーー♪」なんて感じの唄でした(^^ゞ 鳥羽一郎氏ぐらいの大物(?)になると、こんな凄い唄も飛び出すのね〜 彼が三重県の出身で隣の県だからかもしれませんが…この辺りをモチーフにした、海の男な唄多いですよね確か。(芸能ネタ弱いのよん) |
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![]() 徐福の墓 |
![]() 徐福の像 |
ほかにも「絶海と太祖の詩碑」(昭和四十一年建立)や、「由緒板」(平成六年に中国山東省龍口市より寄贈され設置)などもありました。中国の協力を受けているのも、信憑性なり研究に力とお金を費やさなきゃダメだしね。 ここのお土産屋さんの「礼品店」は、無料レンタル自転車(保証金2千円)やレンタルのチャイナ服がありました。(500円)(保証金7千円) |
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阿須賀神社
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![]() 阿須賀神社の鳥居 |
熊野発祥の地と伝えられる古社。 社伝によれば紀元前423年に創建され、熊野三所権現を祭神とし、 熊野三山に準じて尊崇を集めたそうです。 広い境内には朱塗りの社殿をはじめ、稲荷神社、徐福の宮、 無学祖元の詩碑などが立ち並ぶ。後者2つは不老長寿の薬を求めて 秦から渡来したといわれる徐福ゆかりのもので、 境内には徐福が求めていたという天台烏薬が茂り、社殿の背後には 薬草を採取したとも麓にすんでいたとも伝えられる阿須賀神社の神体山、 蓬莱山がある。また、境内からは祭祀用の土器や竪穴式住居跡などが発掘され、歴史民俗資料館でみることができます。 |
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神倉神社と同様、熊野速玉大社に縁の深い神社で、祭神は、事解男命、速玉男命を祀っている。 中世に大火にあって古文書を焼失したため、詳しいことはわかっていないそうですが… 境内から弥生時代の竪穴式住居跡が発見され多くの土器等が出土した。(昭和51年4月復元) 現在、約1万m2の広い境内には、丹塗りの社殿や、拝殿・徐福の宮のほか歴史民俗資料館などが建ち並んでいました。 (新宮駅より徒歩12分)入りましたが、結構小さい資料館でしたよ〜 ただ、こういうモノがここから出ているという事は、神武がここから上陸し、天皇家による律令国家等に 支配(影響)される前から、独自の文化や信仰形態があったと考えられると思うのね、私。 徐福が来ていたとしたら、紀元前数百年から、かなり発達した文化と信仰があったと考えて当然だし ここに祭られてる神様は、当時の土着神の性格が強い神様なのでは?とか私は考えております〜どうなのかしら? |
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新宮の古代、藩政時代、近代の様子を伝える資料や 民俗資料を展示。 1階では、阿須賀神社本殿背後にある蓬莱山から出土した御正躰(みしょうたい)が展示され、2階では、新宮の歴史・文化・生活についてふれることができます。 ちなみに、御正躰とは、熊野詣の人々が神像、仏像、梵字などを鏡面にえがき、社寺に奉納したものの事。 神社横に弥生式竪穴住居が復元されていて歴史民俗資料館には弥生時代からの道具がありましたよ〜 |
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![]() 市立歴史民俗資料館 |
![]() 弥生式竪穴住居 |
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