オススメ!高野山
コレだけは見ておきたい!☆その弐☆




そしてこれが奥の院参道です。左側が入り口で、右側の写真がちょっと入った処。杉木立が並ぶ一の橋から奥の院弘法大師御廟までの約2キロの参道を上杉謙信や豊臣家一族など有名な戦国大名の墓石を探索出来ますヨ。
奥の院には40万基を越えるあらゆる時代の、あらゆる階層の人々の墓碑が静かに並んでいるのです…大きさもすべてが多種多様。
終点には、燈篭堂があり2万以上もの献灯が輝き壮厳な雰囲気をかもし出しているのです〜。

とにかくすごい杉と高野槙の並木道な訳ですよ。平安期から残っている樹もあれば、割と新しいものもあります。大きな樹にはもちろんシメナワがかかっています。何が祭られているのか、風化して姿も判らなくなった仏像(地蔵菩薩が多いようですが…)にも、あちらこちらと配置されており、ここに眠る魂と参拝者を見守っています。赤い頭巾や前かけを寄進された小さいお地蔵さんもたくさん居るのです(^^ゞ
 人物(すいません、勝手に撮ってしまいまして)との比較で大きさわかるでしょ?オロカにもワイドレンズを持っていかず狭くて画像入りきらないもんばっかり。 横長、縦長のもんが多いからね。まっすぐにズドーンと高い樹木に見守られつつ、いったいどの位の人が、地位も出身も多様な人々が1000年以上もココを通って奥の院に参拝したんだな〜とかしみじみ思ってしまいます。どんな思いで、ココを通り、何を祈ったのでしょうね。

  俗っぽさも異世界さも含みながら高野の空気はやっぱりいい。画像では伝わらない のが残念、無念。行って見るべし!!皆の衆〜
  奥の院参道には「姿見の井戸」という不思議な井戸があって、これにまつわるちょっと不思議な話を載せてみます。



 姿見の井戸


 奥の院の参道、中の橋にある汗かき地蔵のお堂の側に、古い小さな井戸があります。この井戸はお空海が高野山に登ったときに掘られた井戸だと伝えられ「姿見(すがたみ)の井戸」と呼ばれているのですが、昔のひとは、この水で目を洗えば、どんな眼病でもすぐに良くなったと伝承されています。霊験あらたかだと伝えられていたのですね(^^ゞ
  この井戸には昔から、はっきりとした由来は不明なのですが「この井戸を覗き込んで井戸に自分の顔が映らなければ、その人は3年以内に死んでしまう」という、なんともこわーいような不思議な話がまことしやかに伝えられ、高野の七不思議の一つに数えられています。

 水に顔が映るのは当然のようですが、もしそれが映って見えなかったら、水面に映る顔も見えないくらい病が重いということなのでしょうか…。そう考えると覗くのに、ちょっと勇気が必要かな?私もあちこち一時悪くしたりして、映らないんじゃないかと思った事もありますよ(苦笑)中を見れば、単なる昔ながらの井戸で、葉っぱやらが沈んでいるもう使われていない井戸だな〜といった感じなのですが…
参拝に訪れた人の中には、この井戸に自分の顔を映し「やれやれ」とほっとして喜んで帰る人もいるのだとか。

 この「姿見の井戸」の側を通ったら、あなたなら覗いてみますか?

奥の院参道、お墓アレコレ?
 私がまわりつつも、気が付いたものなど、独断と偏見で選んだお墓アレコレです(^^ゞ
とても全部は紹介しきれませんが、大筋の参道のすぐ脇にあり目立つお墓などを並べてみました。国籍や時代はまるっきり関係ありませんが、墓の大きさは羽振りの良さに比例してしまうようです(苦笑)地獄の沙汰も金次第なのでしょうか?

豊臣秀吉の墓

市川団十郎の墓
(何代目かは不明だけど恐らく初代)

伊達正宗の墓

北ボルネオ戦死者の碑

納骨塔パゴダと毛利家墓

島津家の墓
 ・・・とまぁ、とにかく墓、墓・・・又墓とお墓ばっかりが群がり並んでいるのが奥の院なのよ。これが奥の院の特徴のひとつ。
歴代の偉人、金持ち、悪いヤツ色んな人間の墓所なんだよね。

  各人、分骨で骨の一部だけがここで弔われている。自分の生まれ育った所にちゃんとした墓があるのに、何故高野山でも?と思いませんか?
その理由は、簡単に言うと…高野山はあの世(浄土)に一番近いとされ、ここからなら迷わず、確実に浄土へ逝けると信じられていたからなのです。
ましてやここには弘法大師・空海が居る。空海は弥勒信仰をも持っていた人で、自らの著書でとりあえず肉体が滅んでも
自分は兜率天(弥勒が瞑想している処)で弥勒と共に修行してお前達を見守る。そして56億7千万年後、弥勒がこの世に下生(げしょう)する時に
共に降りて来て、弥勒の浄土を手伝うぞ。みたいな事を書いているのでそれまでは、とりあえずこの墓に入ってて弥勒が来たらその力で
息を吹き返し、弥勒の浄土を分かち合いたいって後世の人が考えて、この無数の墓群となった訳です。

  日本人、朝鮮半島の人達、東南アジアで戦争時日本が殺してしまった方々。そして戦地で散った日本人、関係ないけど巻き込まれて亡くなった命達へ高野山、奥の院の良いところはそれらをぜ〜んぶ一緒くたにしてる所。差別と戦争そのものに協力してしまった戦争中の反省も含め、
戦争になる前から日本にいた異文化の人たち全部同様にさりげなく弔ってるのがいいでしょ?(順序とか場所とかグチャグチャって事)
原爆公園などで、朝鮮国籍や民族の違いから原爆碑に名を連ねる事無く、碑も場所すら公園の外に置かれた…というような差別はここにはありません。昔から日本には、中国や朝鮮の貴人たちが大勢いたし、文化の先端を伝えた技術者だって、大陸の人たちばっかりだしね(^^ゞ
 例えば死んで、あの世にいったら国籍とか人種なんて関係ないもんね。違和感を感じません。そういう空気あるのって実は凄くて大切だと思うのです。生きているうちだって、肌や文化、国籍・思想の違いで差別されたりだって、かなりオカシイと私は思います。
右翼団体とかから結構ヤジられたり、裁判で追い出された新興宗教に高野の土地をだまし取られたりと、結構な目に高野もあってるのが現状だけど
この姿勢は保ってほしいなぁ〜あの空海の弟子なんだものね。
(そして結構世間知らずな坊様も多い・・・)

奥の院 大師廟
そして、ここが大師廟。
写真撮っちゃいけないので、別の所から拝借して参りました。この廟の奥に空海の遺体が安置されているらしいのだけど、未だに食事も運ばれるし、年に2回、衣替えも行っているらしいのよ。
  で、その時に必ず空海の衣の裾や足が泥で汚れていて今さっき、行脚から帰ってきたかのような状態だと言うのが「弘法大師伝説」空海とは、もちろん直接話が出来る訳じゃないけど、あの廟の向こうには確かに何かの意志が感じられる。1000年以上の人々の信仰心や願いの集合体かもしれないけどイヤな感じはしない。老若男女問わず、ココで涙を流しつつ、ただただ祈っている姿をよく見ます。謙虚になって、自分の罪だけでなく、言葉にならない抱えているものや重荷に素直になって、祈りつつ泣ける事は、私は素敵な事だと感じています。得する訳じゃないけど、こういうのって人間として持っていたいなぁ〜と素直に思います

  泣きたくなるような懐かしさと優しさに包まれている。純粋で有るが故に厳しい優しさだけどね。