熊野信仰について

 熊野信仰。それは地獄と極楽の概念が大陸から日本に入ってくる以前から
日本古来の異世界、他界の概念から生まれたものと定義していいと思う。
日本では、人が死ぬと霊魂になって山に留まるって概念が随分と昔からあって
そこには地獄とか極楽とかはなく、他界としての「死者の世界」があるって信じられていた。
そして次第に、霊山と言われる山々が生まれ現在はその山岳信仰の上に
仏教が乗っかっているのを、ごく大雑把に「山岳信仰」と呼んでいる訳。
 熊野にはご存じの通り山伏がいて、彼等はどんな信仰心を持って山伏修行している
かっていうと、「あの世で受けるべく苦悩・苦痛を現世の地獄で背負い、
死んでから悪趣三界(道)に落ちないように」っていうものと、上級山伏は
己の呪力が更に強力なものになるようにと、更なる高みを目指しての修行」
だと言われている。これ以外もあるらしいけど、詳細には伝わってないの。
とりあえず今苦しんでおけば、あの世では大丈夫って考え方、「滅苦減罪」の思想は
日本に仏教が入って来るよりも、神道が確立するよりも前からあったみたい。
文化としての考え方つーか、もともとネガティブな部分が大陸より強いのかな?
 だから、あえて苦しかったり、つらかったり時に命まで落とすような修行や巡礼を
さかんに行う。物見遊山的要素も、多少はあったにせよ天皇や上皇なんかが
競ってこの山道へ、古道へと参拝したのは「自覚できる罪悪感」が往々にして
あった事の裏付けかも知れない…。日本で語られている「地獄」の思想の中には
貴族達だけが堕とされている「地獄」もあるくらい。(往生要集とかにも出てるよ)
これは、民衆側から「自分たちを搾取するだけで楽をしている貴族への恨み」からか
「罪悪感はあっても(知識から裏付けされているに過ぎないけど)
一度楽を知ったら、昔にはもどれないから」という貴族側の思想から出たのかは不明。
こういう思想は、キリスト教の「原罪(アダムとイブの犯した罪→智恵の実を食べた罪)
とも違う。死んでから罰を受けない人はいないから、せめて死後の世界くらい
少しでも安らかに過ごしたいという願いから、生きているうちにその罰を
あえて苦行として受けようとする思想。何故か生きている世界も死後の世界へも
悲観的な影が強いのも、特徴のひとつかも知れない…。
 熊野三山巡礼は一応順番があるんだけど、色々な回り方があって
とりあえず「本宮大社」が最後っていうのだけ決まっていて、
それ以外はあまりうるさくはなかったみたい。
で、なんで本宮が最後かっていうと(これはもちろん熊野信仰が
仏教化してからの話だけど)、この本宮は「阿弥陀浄土」が
現世に現れた所=そのまま阿弥陀のおはす処だと信じられていたからなのよ。
地獄を巡り巡って、最後に極楽まで参拝する。(善光寺なんかもそうですね)
「これであの世も一安心」って訳ですね(^^ゞ
ちなみに「熊野三山」とは<熊野本宮><那智大社><速玉大社>の
3つをさす事になります。(一応ね)
基本的に「熊野信仰」と言えば、本宮の阿弥陀浄土と
「那智曼荼羅」に代表される観世音信仰(補陀落浄土→新宮ページ参照)とが
代表的だと、私は思っております〜(^^ゞ
大雑把に分類すると、民間信仰としては「那智=観世音信仰」で
貴族信仰としては「本宮=阿弥陀信仰」が盛んだったみたい…
ちょっと代表される信仰形態とか、説かれるものが異なるモノであったようですね。
(※那智曼荼羅は、那智勝浦のページを見てね〜)