空海論?
時は平安時代初期(804年)、当時中国(唐代)への留学には二種類あって
留学費用全額国持ちな「還学生(けんがくしょう、と読む。期間は遣唐使と同じ)」と
折半な「留学生(るがくしょう。期間は20〜30年)」っていうのがあって、
空海は留学生・最澄は還学生だったの。でも行きの船が難破して空海は福建省まで
最初流され、最澄は目的地長安へあっさり入れてしまう。でもここは空海の凄い所で
中国人から「無和臭」(日本的な臭いが全くしない、中国人以上に見事な中国語って意味)と
絶賛された彼の手紙や文章で身分証明書も無くして困っていた遣唐使一団は無事長安へ
たどり着く訳。
長安(元西安)の青龍寺の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)という不空阿闍梨から
正統な密教の秘伝を全て受け継いだとてもえらーい僧侶に出会い、師事する。
恵果阿闍梨も常人ではなかったらしく、空海が日本を出発してからずーっと彼が来るのを
待っていたつーか、自分の所に来る偉人となる僧侶だって知っていたらしくて、
空海もこの寺にこそ自分が師事する人物ありと、正にアポも何も無しにいきなり訪ねたらしい。
恵果も空海もお互い初対面なのに「初めまして」とか挨拶せずに
恵果「ああ、やっと来ましたね。待っていました」
空海「はい、やっと来れました。ご鞭撻お願いします」とかって回りの高僧の方がびっくりするような
やりとりだったらしい(^^ゞ
空海は実に3年ぽっきりで恵果の教えも密教も中国思想や建築技術から音楽、絵画、道教思想、儒教、
政治と宗教的な構造、果ては中国にあったインドの宗教や言語、文化的なものぜ〜んぶを修得してしまい
日本へあっさり帰ってしまう。(恵果阿闍梨が亡くなってから3ヶ月で帰国しちゃうのさ。
恵果も空海に自分の知識を全て伝授すると、悟ったかのように亡くなる。 )
これはもちろん違反なんだけど(20年以上いなくちゃいけないので)、日本の貴族も役人も
空海を説き伏せるなんてもちろんの事、罰する事なんて出来ずにあっさり教えを請う立場となる。
これにビックリしたのはもちろん最澄で、彼は中国にある全ての宗派のお寺を2〜3ヶ月ずつ滞在し
全網羅を目指してたらしいんだけど、あっさり空海にしてやられてしまい慌てて帰国。
でも、やっぱり空海に会って話してみて自分ではとうてい叶わない人物だと最澄は自覚。
年下であり、政治的には自分より格下の空海に密教(東密)を習うために弟子入りする。
でも、弟子入りしたのはいいんだけど最澄は空海から密教の秘伝や秘技である「理趣経」だけは
教えても貸しても貰えない。空海から「え、あんたじゃこれは無理。理解できないだろうから」と
断られ愕然。代わりに空海へ入門させた一番弟子にも「やっぱり私は最澄様ではなく
空海様に付いていきます。天台宗やめます、ごめんなさい!」とか見捨てられ呆然。
で話しズレたけど、空海が中国から帰るときに密教法具をえいや!と日本に向かって投げた。
それがどうやら高野山の槇の木に引っかかったか、刺さったかしたらしいのさ。(どんな肩だよ)
空海は日本に帰ってきてから、この法具を探して紀伊半島の山奥まで来ると
そこには二匹の犬、黒いのと白いのがいて空海を案内しつつ山道へ入って行く。
その犬達は飼い主らしき老人の猟師と空海を引き合わす。空海はこの老人とワンコ達に案内され
高野山に刺さった己の法具を発見し、こここそが己の密厳浄土と道場を開く所であると悟る。
するとこの老人は快諾し、その本性を表す。彼こそが高野山の山の神「高野大明神」
(又の名を「狩場明神」ともいう)だった訳。山の神からもお許しを頂いて空海は高野山開祖と
なったというお話。朝廷の貴族や役人からは高雄山をもらったけど、あそこは都に近すぎて
修行の道場にはならん!と思ったらしいのよ。
天皇とかからではなく、 山の神からのお許しで道場を開くって表現は、
彼が精霊信仰等のシャーマニズムをもその思想に持っていた事の現れですわ。
仏だけが全てでも神だけが全てでもない、妖怪も生霊も精霊も人間も動植物も
悪霊や病魔でさえも全てが存在してこその浄土を目指した空海。
「修行の妨げとなる」という概念から女人禁制を敷いた高野山だけど、
空海自体は全然女であるから成仏出来ないとか、汚れだから仏法とは相容れないとか
心の狭い事は言わなかった。「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」と説き
全ての衆生、命の中には仏性という仏の種が内在されているから、全ての命は仏と成れる
可能性がある。それは汚濁にまみれた悪世の中であってもそれら全てをも受け入れ
自らを鍛え、照らす事が出来れば泥の中から見事に咲く蓮の花と同様に美しく尊い
仏の心であり、その人の心そのものである。という教えが物語っているでしょ?
とにかく空海って人は凄い人でさ、真言宗を日本で開いたのはもちろんだけど
その他では三筆の一人だし、日本語の五十音で作った「いろは歌」も彼が詠んだもの。
(これ、実はすごい綺麗で幽玄な和歌なんだよね!それでいて同じ音を二度と使わず
本当に50音で完成されているの。並みの言語中枢の持ち主ではありませんわ)
彫刻(不動明王とか)彫れるし、仏画描けるし、河がなく日照りにも決壊にも弱い故郷に
満濃池つーほんの20年くらい前まで実際に使われていた貯水池作ったり
日本で初めて私立学校を開校したのも空海です。漢方薬の正しい処方を
書籍として持ってきて、日本風にアレンジしてくれたのも空海。
楽譜と言うモノを日本に伝えたのも空海。彼がこれ持ってこなかったら
和楽器(琴とか笙とかね)の発展も無かったんだから。
彼の寿命は実に62年。でも普通の天才が出来る範囲から考えると
ゆうに10倍は密度の濃い生涯だったはず。 平安時代だよ!
今からちょうど1200年前の人物なんだけど、彼の著作は未だ難解過ぎて
誰も注釈書を書けないでいるので、空海の著書はマイナーなままなのよ。
24歳で書いたって伝えられている「三教指帰(さんごうしいき)」でも難易度高くて
後世の学者もお手上げ。まだこれと言った注釈書、誰も作れていません(T_T)
逆に最澄の書や、その弟子に有名人が多いのは単に「判る範囲だから」。
確かに最澄だって凄い人だけど、この人は「秀才」努力して勉強した
生真面目な(字見れば判る!彼はかなり几帳面でまじめな人だったはずだ)
普通の人だった訳。だから、きちんとこちらも勉強すれば判る範囲のお話なのよ。
でもさ、空海ぐらいの超天才で、しかも努力家であり凡人には見えないものが見えて
聞こえない音や声を聴き、山神や精霊、仏の声だって届いちゃう魂を持っていたとしか
言いようがない人物相手じゃ、凡人としては何言ってんのか教えてるんだか
判りません!って訳。司馬遼太郎さんが「空海の風景」でこんなコメントしてる。
「空海は私には遠い存在であったし、その遠さは、彼がかつて地球上の住人だったと
いうことすら時に感じがたいほどの距離感である」
あの司馬さんですらこうだからね。空海は調べれば調べるほど、本当に人間だったのか
疑いたくなるのって判る話し。私の中では一応「バイストンウェル人」という事になってる。
説明付かないような偉業があまりにも多くてね。
でも、こんな私でも判っている事はある。空海の教えは心が広く優しいって事。
空海の説く「密厳浄土」っていうのは、全てを「否定しない」世界。
要するに、仏に象徴される理想的な人の姿、有りようってのも存在するけど
どうにも汚くて、ダメな人間的なモノも動物的なモノも全て存在する。
「否定することからは何も生まれない。あるがままを有るがままに受け止めて
認めていくこと」って淡々と説く。綺麗だけでいられない人間を知り
切り捨てではなく、全てを含有していく有機的な浄土。
男も女も動物も植物も、そしてもちろん仏も存在する浄土なの。
要するに、現世と何ら変わらないんだよね構造的に。
空海の説く「仏」はすなわち世界の有りよう全て。
季節が巡ったり、それに合わせて 色々な植物が萌え出で、土に帰り巡っていく命。
雨が注いだり太陽を感じたり、暑かったり寒かったり
物哀しかったりする自然現象や、食べたり食べられたりする事
それに伴う人の心や、動物の行動、それら全てが仏の心の動き。
それが 慈悲だったり教えだったりしてるって そう説いている。
それらに逆らっても何も産まれない、含まれている自分と
その心を重ねて同調していければ、おのずと仏の心を感じ聞こえてくる。
それが気が付いたら「悟り」へと導くものだって事らしい。
ダメな時もある。でも、ダメで居続けない努力をするために
日々精進し、智慧を磨いておきなさいって教えだそうな。
(ずばり、この辺は高野の坊さんたちの受け売り。でも判りやすいでしょ?)
仏教は元々「真理という名の月をさす指」だったのよ。
でも、後世の仏教僧達が「経典学」といわれるその指を必死扱いて研究しちゃったから
訳が判らなくなったの。単にその指が指している方向を素直に向けば「真理」は
お月さんとして自分を照らしてる訳だから、すぐに見えるし判る訳。
でもその指してる指がどんな材質だとか、硬度は、色は、温度はとか時代検証とか
仏さんとしては判って欲しいことをまるで無視して、見当違いな所を
2500年も研究し続けてるのが、現状の「仏教」。学者か、学問僧にしか
判らない世界と化してしまっている。そんな所で悩んじゃもったいない訳よね。
お経も、まずかなり勉強しないと右から左へと流れてしまい何言ってんだか
判らない。あれだって、言うなれば「お釈迦様、説法物語」であって
結構面白い説話とか、為になる話しいっぱいなんだけどさ〜もったいないよね。