巷で人気(?)の
清明神社へ?!
いや単なるキツネ顔のオッシャンだがなー(私的には)
晴明神社入り口  ちなみに、安部晴明って誰?!なヒト&オンミョウジって何?なヒトへ

陰陽師(オンミョウジと読みます)とは、いかなる存在か?

平安時代の天才陰陽師として名高い、安倍晴明。
一体「陰陽師」とは、いかなる存在なのでしょうか?

陰陽師には、二面性があるとされます。
一つは中国伝来の陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)によって天体を観測したり暦を作成する科学者的側面。そしてもう一つは、式盤を使って吉凶を占ったり、自在に式神(陰陽師の意のままに動く鬼神)を自由に操る呪術師的な側面です。


謎だらけ?な出生
安倍晴明の出身地については、大きく分けて3つの説があります。
一、 大阪説
二、 讃岐説
三、 茨城説
この中で最も有力なのは、一、大阪説です。
『葛乃葉(くずのは)伝説』によると、晴明の父は大阪市阿倍野区阿倍野の出身とされています。以下、引用文です。

「いまから千年以上昔、阿倍野に安倍保名(あべのやすな)という男が住んでいました。あるとき、和泉(いずみ)の信田明神(しんでんみょうじん)にお参りをすませて帰ろうとした保名の元へ、狩りで追われた白狐が逃げてきて、これをかくまってあげました。
 その後、白狐は女の人になって、保名のところへ来ます。名前は葛乃葉と名乗りました。ふたりは結婚して阿部神社の近くに住み、やがて子供が生まれ、安倍童子(あべのどうじ・晴明の幼名)と名付けました。」

狐は古来から、霊力を持った動物として崇められており、白狐であった母親を持つ晴明は、天才陰陽師として君臨することになるのです。晴明が阿倍野の出身というのは、安倍晴明神社の記録としても残っています。安倍晴明神社に伝わる『安倍晴明宮御社伝書』には、安倍晴明が亡くなったことを惜しんだ上皇が、生誕の地に晴明を祭らせることを晴明の子孫に命じ、亡くなって二年後の寛弘四年(1007年)に完成したのが、安倍晴明神社であると記載されています。

 見ての通り〜
これが晴明神社の入り口です(^^ゞ
是非、晴明が鬼を追い払ったという一条戻り橋を通って
参拝される事がオススメ!
晴明神社入り口の鳥居
晴明神社鳥居

入るとこんな感じ〜(^^ゞ
社中
 噂から予想していたものと比べると、実物の面積もお社も小さい?

 京都名物な碁盤の目のような細い路地(周囲は完全に普通の民家でした←しかも長屋風な密集住宅地)背丈もないお社なので、遠くからは目立ちません…

 一条戻り橋からはすぐなのですが、最初来た時に私たちは見事に一本路地を間違え、周囲をウロウロするハメになりました(苦笑)
社アップ  そしてこれがお社。もしかすると安部晴明にまつわるイメージって、この五芒星が一番強いかも知れませんね(^^ゞ
(最近映画にもなったし…あれってヒットしたのでしょうか?)

 ユダヤ教で神聖視されている「ダビデの星」と同一の形だったり、陰陽道というのがなんともオカルトチックなので、さまざまなファンタジー(?)にも展開しているようですが…天皇家の占いを専門でやっていたり加持祈祷のような事を行った陰陽師も中には居ましたが、これは本来の陰陽五行の理念と学問で動いているものではなく、明らかに後から入ってきた「密教」の影響が強いものと考えられます。この辺がごちゃ混ぜになってるのが現状ですが、御伽噺としては面白いですよね(^^ゞ

 この星型は、陰陽五行という中国の五行説から由来するものです。(木・火・土・金・水)この相克(簡単にいうとジャンケンのようなもの。グーはパーには弱いけどチョキには強い。みたいなものと考えて下され)という考え方を図式するとこうなるので、おそらくその形から行っているものと推測しているのですがね〜私は(-_-;)説が一杯あって…(苦笑)

母上はキツネ?!

…いや母上が白狐だという説が有力な晴明なのですが(苦笑)だからこそ神通力が強かったと言う、伝説を元に母親をかたちどった狐の像が境内にありましたので、撮ってきました(^^ゞ