京都と言えば、こんな竹林というか、竹に囲まれた風景がイメージ的に強いかな?(あくまでも私はね)京都の竹は、嵐山から嵯峨野にかけてのふっとい竹が一番好きですが(これは兄弟株が鎌倉にあります)、竹って雰囲気あっていいよね。個人的には松とか杉より好き。 これは文学の古径の側の細い竹の並木道(この言い方正しくないと思うんだけど…どういったら正しいのかな?)日本の竹林って、中国のとは空気も雰囲気も温度も匂いも違う。私は中国本土には行った事ないけど、画像とか写真でも伝わる空気ってあるよね〜と思う。 好みの問題だけど、私はやっぱり日本人だからなのかなー(^^ゞ変なトコではナショナリストなのかもしれないな、私。でも自分の国の文化が好きだと言えないよりは、言えた方がいいとは思う。黙っていても風景とか空気の心地よさってあるものね。スイスとかカナダとか熱帯の海とかの風景も綺麗だけど、あれを何年も毎日見てろと言われたら、きっとダメだろうな〜私。こういう風景は毎日見てても精神的に苦痛無いけどね〜不思議 |
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で、金閣寺です。 ここは金閣寺の入り口となっております。 こちらは銀閣寺の後に行ったのですが、もうあまり雪が残ってませんねー ちょっと残念(-_-;) でもキンピカに雪ってのもあんまり似合わないので(苦笑)これはこれかな? 小さくてわかりにくいかも知れませんが、中年(?)夫婦がいますのよ。 年とってからも、寄り添って京都散策なんてオシャレですね〜(^^ゞ 根拠はありませんが、何となくイイナァーと思います で、例によって金閣寺について〜(^^ゞ 『金閣寺』は「銀閣寺」と同じように俗称なのよ。 正式名称は【北山鹿苑寺(ほくさんろくおんじ】っていう相国寺は臨済宗相国寺派の本山ですワ。 相国寺派の寺院は、金閣寺・銀閣寺をはじめ全国に100ヶ寺余り実はあります。 禅宗という宗派はないのですが、臨済宗の禅寺です。 |
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ここで一息 |
<臨済宗> 慧能の門下に南岳懐譲があり、その下の馬祖道一の弟子百丈懐海は「百丈清規」を著し禅院の制度を確立しました。そして懐海に嗣法(シホウ)した黄檗希運の弟子臨済義玄によって臨済宗が興ります。その他洞山良价、曹山本寂師弟によって曹洞宗が始まります。 このように中国の禅は唐代から宋代にかけて盛んになりさまざまな宗派の流れを形成しました。 釈尊の悟りとその法門は、以後代々の祖師方が並々ならぬ苦修によって、一つの器の水をそっくりそのまま次の器に移すように伝えられてきましたが、第28祖(釈尊より正法を付嘱された摩訶迦葉尊者を第1祖として)菩提達磨大師に到って、インドから中国へ伝えられました。 当時、中国の仏教は儀礼が中心で、形式に流れやすく、釈尊の正覚(悟り)に直参するという仏教の真髄が忘れられていました。この状況の中で、「不立文字(ふりゅうもんじ)・教外別伝(きょうげべつでん)」を標榜して、中国における禅宗の基礎を築いたのが達磨大師。釈尊の正覚は文字言句では伝えきれない、直接体験を通して、心から心へと伝える以外に方法は無いというのです。 水を冷たいといっても、言葉ではどのくらい冷たいのか判りませんよね。それを飲んでみて初めて真の冷たさが判るのと同じです。 静かに坐り、自己の本心本性をみつめ、その導く清浄なることに気づいたとき、自分をとりまく全ての人や物も導く有難い存在として心に響いてくる…。これこそ他人(ひと)には言葉で説明することのできない体験と言えるのではないでしょうか? 達磨大師より11代目の祖師は唐の臨済慧照禅師。 禅師は 「我々の生きた肉体の中に真の仏があり、それは目で見、耳で聞き、口で語るといかたちで、常に我々のからだを出たり入ったりしている。それをはっきり自覚せよ。」 と強調しています。自己のうちにある仏心を呼び起こせということでありましょう。 このように「自性を証する」という体験から出るはたらきを日常生活に生かしていくところに、臨済の禅の特質があります。この法流を臨済宗といいます。因みに禅宗という呼称は、坐禅を生命とする宗旨の意味を強調した表現です。また仏心に参ずることから仏心宗ともいいます。 |
<日本の禅> 日本に伝わった禅は、栄西(エイサイ)禅師のように日本から中国に渡って禅を学び伝えたものがありますが、宋代末、異民族の侵入によって元が興ると異民族の支配を嫌って日本にやってきた(鎌倉時代)渡来僧によっても伝えられました。最初に日本に禅を伝えたのは栄西禅師の臨済宗です。道元(ドウゲン)禅師は曹洞宗を伝えました。その他隠元(インゲン)禅師によって伝えられた黄檗宗があります。 |
<公案禅> 中国宋代の禅には看話禅(カンナゼン)と黙照禅があります。前時代の優れた禅僧の言葉や行為を記したもの(古則)を用い、参究の課題として師から弟子に与えられる公案によって悟ろうとする修行を看話禅といいます。このような方法を確立したのが、五祖法演とその弟子で碧巌録を著した圜悟克勤です。 黙照禅は宏智正覚が唱えたもので、インド伝来の坐禅を重んじ、公案の参究によらずただ坐禅によって修行をしていくというものです。 こうした流れが鎌倉時代日本に伝えられ、黙照禅は曹洞宗が、看話禅は臨済宗が今もその流れを伝えています。公案を使って悟りを得ようとする臨済宗の流れは、江戸時代中期に出た白隠慧鶴によって独自の公案体系に大成されました。白隠禅は、単に観念や思想にとどまらず、今、ここにいる、現実存在としての自己の問題を解決するための実践修行を重んじます。以後臨済宗の指導者はすべてこの白隠の法を受け継いでいます。 |
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相変わらず〜つかここ来たの自体が、中学校以来〜(^^ゞ だってさー趣味じゃないのよね、ココ。 でもやっぱり異文化圏の人たちには受けが良いらしくて ベルギーだかその辺のテレビ局が来て取材してたよ… 「下がれ、金色!」(Byハマーン・カーン)とか言いたくなる色〜 足利義満も趣味悪いよね〜 (苦笑)好みの問題ですが… あえて金色にしたあたりが、彼の趣味と北山文化に象徴される 色彩感覚つか、ある意味日本人離れした豪胆さが伺えるかな? 趣味の問題だと思うのよ〜でもこんなにしょっちゅう修復してたら、 それこそ時代感覚とか歴史的な重さみたいなの感じない〜 そういうので圧倒するから良いってモンでもないけどさ〜♪ 当時の極彩色な芸術感覚って今の若者にも受けるのかな? 民族衣装で言ったら、日本ほど派手なモノもないと思ってるけどね、 私(^^ゞ住んでるトコ地味で着物派手って感覚が日本的なのかしら? とか勝手に思っております。 |
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違う角度でもう一枚? いや、水面にも同じ大きさで映ってる写真を撮りたかったのよ〜 このキンパク、張り替えてばっかりだろうから、いつ見ても ペッカペカですね〜(苦笑) でも、建築技術としては当時、相当なものが投入され 技術もヒトも、お金もかなりかかったんだろうなぁ〜 ここ、金閣寺の建物ばかりが有名ですが、池と庭もかなりのものです ゆっくり全体を回ってみましたが、結構な広さもあるし 配置が金閣寺の4方から季節感が出るような植木の配置など 結構見事でした。でも基本的に松などの常緑樹が多く 冬になっても寂しい感じはせず、青々としているのが印象的でしたワ |
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