舒明天皇 越道伊羅都売 紀椽姫 ‖───┐ ‖──────┐ ‖──光仁天皇 皇極天皇 │ ‖伊賀采女宅子└─施基王 (斉明天皇) │ ‖ ‖─────────弘文天皇 │┌─天智天皇┌───────元明天皇 ││ ‖ ‖─┘ ┌─持統天皇 └┤ ‖ 蘇我姪娘 │ ‖───草壁皇子 │ ‖─────┘ ┌天武天皇 │ 蘇我遠智娘 | ‖───舎人親王 └────────┘新田部皇女 ‖──淳仁天皇 当麻山背 |
元明天皇┌元正天皇 藤原安宿媛 ‖ ──┤ ‖────孝謙天皇(称徳天皇) 草壁皇子└文武天皇 ┌聖武天皇 ‖──┘ ‖────井上内親王 天智天皇 藤原宮子 県犬養広刀自 ‖───酒人内親王 ‖──────施基親王 ┌──光仁天皇 越道伊羅都売 ‖───┘ ‖───桓武天皇 紀橡姫 高野新笠 |
「ちょっと解説?らしきもの」 |
天智天皇の第四皇女で、先帝文武天皇の母。 文武天皇が二十五歳の若さで没すると、 持統帝にならい、文武の子で自らの孫にあたる首皇子(後の聖武天皇)に皇位を継承するべく 中継ぎとして即位した。首皇子が当時最大の実力者であった藤原不比等の孫にあたることから 不比等の意志が強く働いたと考えられている。 |
治世中、和同開珎の発行や、平城京への遷都、『古事記』の撰上、 『風土記』の編纂などが行われた。 在位期間 707年7月17日〜715年9月2日 |