脚注集
* 注1:神々を「柱」単位で数えるのは、巨木や巨石にこそ神が宿っているという 原始信仰(より純粋なシャーマニズム)に由来するもの。明らかに「人ではない偉大な存在」を表している。 また、これらの単独神の名前には、それぞれの土地に深く由来するものであり「大和の国」が意識される以前の人々の文化や暮らしの歴史がかいま見られる。 古事記も自然現象や山や海を神格化しているが、やはり「神になった人間」の比率が高い。やはりあくまでも皇族の正統性確立のため、編纂されたものであるからだろうが、 この傾向は「日本書紀」などに比べれば低い。
* 注2:ここの現れる10の神とは以下の通り。ちなみに、頭に「妹」が付いているのは女神の意。宇比地邇の神(男)、妹須比智邇の神(女)、 角杙の神、妹活杙の神、意富斗能地の神、妹大斗乃弁の神、於母陀流の神、妹阿夜訶志古泥の神、伊耶那岐、伊耶那美。 これ以降の神々は、必ず性別があり自然現象の神格化は一対で現れる事が多く、人の神格化は男か女かがハッキリしている。 この一対は、本当に兄弟であったり夫婦であったりとちょっと区別が難しい。
* 注3:これは現在の日本列島の事ではない。架空の嶋に近く、イメージとしては伊耶那岐、伊耶那美の新居というか「国産み」の拠点のようなもの。この嶋の現れ方は、海洋性民族特有のもので、この神話の発祥または創った人々が南方系の民族で、日本へは黒潮で渡ってきた民族ではないかと言われる根拠となっている。もう一つ重要なのは「神々が天から降りてくる【天孫光臨】系ではない」ことが挙げられる。平坦な海の向こうからやって来た神々、の意味するところは「征服者としてやって来た」のではない、と言うこと。初めの神々は少なくとも征服者の神ではなく、日本古来の平和的な性格の神々であったと言える。(もちろん、今後には【天孫光臨】の神もやって来る。やはり剣を掲げた戦に勝利する神。高千穂でのニニギの話をお楽しみに)
* 注4:水蛭子 に関してはかなり色々な説話がある。容姿も異形であるものも多い。単なる障害児とは性格的にも異なっている。「両足、両腕のない胴体と頭のみの子供」とか「三歳になっても脚が立たなかった」等。「言葉を発することが叶わなかった」という部分ではかなり共通 している。ここで注意したい説は、「天照大神 」の別名「おおひるめのみこと」(漢字が漢字源の中にも存在しないものなのだ。ひらがなですまん)に対して「日る子」の意で男性の太陽神が存在したとも言われる説。古代日本は、世界でも珍しい「太陽も月も女神」という文化圏の国。歴史的に太古へ遡れば遡るほど母系で、女性の強い社会であることが伺える。仮に「水蛭子=男性の太陽神」とすると、太陽を掲げた種族の王と女王がいてこの二人の戦いは明らかに女王の勝利。太陽神なのに、闇へ葦船で流されてしまうとはね〜。あの異形のような姿は、戦に負けた王へ本当にした仕打ちかも知れない。(両腕、両足をもぎ取り、声帯を熱湯とか溶けた金属飲ませて焼き切って声も出なくして追放した事の表記かも知れないよ)漫画家「安彦良和」氏は、作品『ナムジ』で面 白い解釈をしています。「水蛭子=スクナビコナ」との解釈なの!これと『神武』は読まないで死んだら後悔します、ってぐらい面 白いので読んで見て〜(^o^)中世以降、「水蛭子」は「恵比寿」として尊崇される。こんな水蛭子が商売繁盛の神様になったいきさつとかも興味あるねー。
* 注5:結婚の際に柱の周りをぐるりと回って性交をする文化は、穀物豊饒の予祝儀礼。中国からインドネシアの農耕民族に多く見られるモノ。柱の回り方「男=左」「女=右」の元となっている思想は明らかに中国思想。「天左旋、地右動」(『春秋緯』)などに見られる思想の反映と考えられている。古事記では「左(男)を右(女)よりも貴し」という思想が一貫している。これは後の貴族社会や地位 などにも影響していく。思い出して、日本では「右大臣」より「左大臣」の方が偉いし、結婚式とかだって上座に対して男が絶対「左」でしょ?「右腕」より「左腕」の方が切れ者で地位 も禄高も上じゃない?そーゆー部分でもまだこの思想生きてるのよね。「左利き」が疎まれる時代が来たのは、西洋思想からだろうね〜。ただ、「左巻き」っていうと、要するに「ガイキチ」の事なので・・・(これは着物の「左前」で着てしまうのはオカシイ人か死人のみ。っていう考え方からだけど)「右」「左」論は、実は論文書けるかも、ってぐらい面 白い話あるんだよねー。興味ある人は、個別に連絡下さい。「方位学」も孕んで面白いんだよ〜。
* 注6:九州の国名には「日」と「別(わけ)」を含んでいるのが特徴。これは、後の「天照大御神」の誕生と「天孫光臨」の重要な舞台となることの複線。九州地方での神々は、他地方で活躍した神々と性格付けがかなり異なり「征服者」としての色合いが濃いのが特徴。古今東西、神話において「天孫光臨」などの「天から神々しく降りてくる神」というのは、征服者が土着の神々を駆逐し自分たちの宗教や神々を押しつける時に必ず使われる表現である。「海の向こう」など陸続きの彼方からやって来る神々は比較的平和的に融合しあえた宗教と民族の軌跡なのだけど、「天から降りてくる」神々はかなり惨い征服の仕方をしたものの証拠。そうやって「土着の神々=民族は下」「征服者の民族神=上」という構図を判らせ、自分たちの絶対優位を宗教的にも確立しようという、政教一致の社会構造のマインドコントロールの顕著なもの。
* 注7:ここの6嶋は、瀬戸内海航路および遣唐使の寄港地として重要なものばかりが選ばれて神格化されている。すでに大陸往来というものが、国として重用視されており、かなりの行き来があったものと推測される。又、この「神話時代」と呼ばれる頃の文化の中心はどの辺りであったのかについても注目すべきだと思う。今とは文化の中心地に大きな隔たりや、人口集中地帯に差がありこれを無視して「邪馬台国=近畿地方説」はかなりオカシイ。今も様々な論争があるが、私的には九州付近だと思う、つーか私は長崎のさらに海より、現在海の底になっている位置だと考える。あまり言われないが、この所謂「古墳時代」は間氷期である。海岸線はもっと低く、現在の地形から判断すべきではない。また、この「古墳時代」とは紀元後3〜7世紀という頃で、文化として大陸は(何と五胡十六国時代から唐代!)というずーっと先端を
行ってた訳で書かれていた書物のレベルから建物から服から音楽からもう、何もかもが1000年以上遅れていた訳。有名な「三国志」時代よりも後だけど、まだ日本は神話時代・・・中国は孔子先生が現れてから800年は経ってるわ、都は出来てるわ(長安)、中央官制や地方制度なんかも確立されてるしで文化レベルや、その記述の確かさなんかでもレベルつーか、転職後レベル30の中国と、剣士レベル2ぐらいの日本(大和)って感じですわ。
* 注8:ここには8の神様たちが生まれているけど、皆水に関係する神様達(男女ペア)。水泡、水面の凪と波立ち、水の配分、水を汲む道具の表現なのよ。
水分神(みくまり)は折年祭(としごいのまつり)、速秋津比売(はやあきつひめ)は大祓(おおはらえ)の祭り、またこの8神の中には鎮火祭(ほしずめのまつり)などの祝詞(のりと)にその名前を見ることが出来る。これらは、明らかに火と水の調和を願った古代初期宗教における信仰形態のなごりでしょう。日本は特に火の神様多いけど、これは火山が多いからその畏れもあって神格化したものだと考えていいと思う。でもなにげに水の神様も多い。海は相当に荒れたりもしたんだろうと推測される根拠は、女神より荒ぶれる男神が多いから。世界的に見て、海が荒れる地域=台風がよく通ったり海流が速くいつも荒れている海、に面したり囲まれてたりする所の神話では海の神=男が多いね。でも、火と同様に汚れ(悪いものや病気)を清めてくれるものだと知っていたのは凄い。海の生命力の圧倒的な力を知っていたみたいな表現が結構あるのよね。この辺にはまだ水神=龍(蛇)って表現は現れてこない。もっと以前から竜神信仰あったはずなのに、あえてかな?
* 注9:ここの8神は、山頂、原野、霧、峡谷、迷路の表現=神格化。彼等は天と国とを冠する名前を持っていて、この山頂〜迷路までが天と地双方に関係が深いと考えられていたから。不思議なものを神格化してるみたいに見えるけど、これはおそらく古代の人々がこれらによって大層苦しんだか、困っていたかと考えられる。確かに今みたいな設備とか道具あったって、山越えも何にもない原っぱを延々と行くのも、霧も峡谷・迷路(おそらく深く方位とかが判らなくなる森なんかだと思う)も大変だからね。素足で、麻布の貫頭着(かんとうぎ)しか着てなかった人々には、そりゃ驚異だよね。天候が悪化したりすると、今だって死人でるぐらいだから古代においてはかなりの犠牲者が出てんだろうなぁ〜。だから神様なのよね、合掌。
* 注10:迦具土にはもう一つ「火之夜芸速男(ひのやぎはやお)」という名前があって、こっちは文化的な火の象徴である神様なのよ。炎というものが諸刃の剣であることを、よく知っていたからこそ出来る設定。明かりや暖をもたらし、壷などの道具を焼いたり銅を溶かしたり(この頃の日本では無理だろうけど、紀元前5000年以上前からお隣の大国である中国は、もうかなり立派な銅器を作っていた。交流はあったはずだから、その威力は知っていたはず)と、人間が便利に生活するには必要なモノは火を通さないとダメだけど、扱いがあまりにも難しく、落雷などによる火災などで随分と苦労もしたし、人も死んだはずだから二つの相反する名前と意味を持った神様になったはず。
* 注11:また、火神の出産と陰部を焼かれたために、母神が死ぬ話しは、火切杵と火切臼とを使用する発火方法が男女の交合出産を連想させ、臼を焼いてしまう事から、女陰の火傷と死の話しになる。火の神の威力を表しているんだろうと推測される。今まであれだけ沢山の神々を一人で産んでみせた伊耶那美が、火の神一人を産むために命を落とすんだから、ある意味今までの神様の中で最強の力の持ち主だよ、と主張しているようなもの。その威力の複線ともとれる。まぁ、火山も含めて火の力全てを凝縮した神様だからね〜相当怖かったんだろうな。また、こんなにもその死体から神様になる存在もありませんからね。
* 注12:建御雷之男の神を始めとする、ここの3神はみな火の根源である強烈な雷神の表現であり、刀剣を鍛える火力を意味する。特にこの建御雷は、この当時最も勢いの激しいものと考えられていた「雷(いかづち)」の象徴。迦具土の血は火神の赤い焔で、岩(鉱石)を溶かし刀剣を鍛える最も強力な火力を表現する所から、雷光の輝きと打撃の強さから「刀剣神」でもあるとされる。これがもう一つの別名である「建布都
(たけふつ)の神」という「ふつのみたま」と呼ばれた霊剣そのものである。彼はこの後、大国主命に国譲りを迫ったり、「布都の御霊」として石上神宮(いそのかみ)に鎮座するといわれ、神武の危機をも何度と無く救う彼の太刀を献上したのも、この建御雷だとされている。人気あるもある時代を超えて大活躍する神様である。もちろん、西日本を中心に彼が主斎神になっている神社も数多く存在する。物部氏の奉斎神となっている。
これは当時、剣や鏡は魔よけであり、その御霊の宿った刀剣は悪霊や悪しき穢れを断ち切れるものと信じられていた事の証明に他ならないと思う。実際に迦具土を切った剣「天之尾羽張(あめのおははり)」よりも、刀剣神としては建御雷の方が大活躍で、格も上みたいに書かれているのも面白い。良く人をも切る剣より、魔よけとして悪霊を切る剣の方が格が上なのかしら?だとすると当時の価値観は、現代よりも文化的だね。
* 注13:御剣の柄に集まった血が、手の指の間から漏れ出て化成した神が水の神である。これは剣の霊気が雲となり水を呼ぶことの象徴か、迦具土の死体から成る神は、すなわち製鉄作業から刀剣を鍛える一連の流れや、それらに必要なものの神格化であると言えるはず。だから最後に、鍛えた剣を水で冷やし、また叩きそれらを繰り返す作業。そして焔によって鍛えられた刀剣は、冷水によって完成される。その霊水であり冷水の神格化がここで記載されているものと考えるべきじゃないかと、私的見解としてはそう思う。
* 注14 ::殿の鎖された戸口。古墳の入り口や、本葬まで仮に遺体を喪屋に安置する時の喪屋の入り口を意味していると考えられている。死の穢れに対してそこへダイレクトに入ったり触れたりするのではなく、あの巨大な墓所は死者に触れつつも死者の国の穢れからは逃れるための入り口っていうか、中間地点という意味があったのかも知れない。神様にも寿命があるのは、古代宗教として世界中どこでも同じ。ほとんど人間の延長と考えたか、死があってこそ生が活きると既に知っていたのか、自然の流れとして受け入れる魂の高さがあったのか…ちょっと凄い。神・仏に寿命を当てはめず永遠の世界とか命とかを願う下品さは、どっから来たのかな。
* 注15:国作りが未完成だとここで伊耶那岐が言うのは、国生みだけで国作りが完成するのではなく、神生みを完成する(これが国土経営を意味するらしい)必要があったから。要するに、冒頭の「修理固整」から具体的に発展してきている。最終的には、葦原の中津国(人間と神の現世世界)の国作りだけは、伊耶那岐と伊耶那美の手によっては完成されず、これは大国主命が完成させる事となる。
* 注16:黄泉国の竈(かまど)で煮た物を食べたと言うこと。これはその国の共同体の一員になると言うことを意味するので、現し世(うつしくに)には戻れない。「同じ釜の飯を食った仲」という表現が今でもあるけど、これは一種の呪術的な行為だということの現れ。同じ竈で作られたものを食べると言うことは、単なる社交行為でなく、同様の規則やタブーをも共有する共同体に入る、もしくは成るということの通過儀礼か呪術行為である。そーゆー事らしい。
* 注17:黄泉国の醜悪な女で、死の穢れの表現。黄泉でもそうなんだけどさ、この死者の国には男の影が希薄。伊耶那岐を引き立たせる為かも知れないけどどうしてだろうね。そして神聖で、そのまま神格化されている建御雷みたいな雷の神が黄泉にもいて、それは単に命を奪うだけの恐ろしい将軍となっている。面白い解釈だ(^^ゞそして、もっと興味深いのは、伊耶那岐の投げる「3枚の御札」!昔話でおなじみの「3枚の御札」の話の原型はこれ。必ず約束を破った人間が、命からがら人食い鬼とか悪魔とか山姥とかから逃げるとき、3つの何かを投げてそれが食べ物になったり河になったりして、その隙に逃げるけど結局追いつかれちゃってさ、最後は知恵を働かせてめでたしめでたし、なあの話。実はこの形式をとる昔話は世界中、ヨーロッパにもアジアにも何処にでもある不思議なもの。どうして3つなのか、そして食べ物に変わるのかとか、不思議なんだけど共通している。実は、この形式の話に起源はめちゃくちゃ古いんだろうね。う〜ん中国かな、そうすると起源はやっぱり。あそこからなら、紀元前5000年はゆうに遡れるし、その頃から世界中へ渡ったり、交流したりしてたからさ。ネアンデルタール人よりも、北京原人の方がうんと古いしね。約100万年まえぐらいの人類だしさ。太古のもので、その起源とかって「中国」って答えても8割嘘じゃないからさ(笑)
* 注18:この、後ろ手で剣を振るって言うのは「呪い」をかけている行為。相手を困らせる呪術らしい。起源はちょっと不明。
* 注19:桃も竹の子も、邪気を払うと信じられていた植物。特に桃は神代紀にも「桃を用て鬼を避る」とあるぐらい。これは明らかに中国思想。(またもや!つーか古事記を始めとする日本古典から、中国の影を消すなんて絶対に出来ないお話)三箇という数が結構出てくるのは、これが聖数だと考えられていたから。これはキリスト教でも同じ。当時(古代期において)は明らかに割り切れない「偶数」の方が聖数だと考えていたらしい。御烏さんこと八咫烏も、足三本です。これはまた神武の時のお話。
* 注20:葦の茂る原で、天上の他界高天の原と地下の他界黄泉国との中間にある現し国の事。ここに生ある者が住んでいる。葦原とは、未開発な土地のことではなく、葦も又邪気を払う呪力のある植物だと信じられていて、神格化もされている程。追儺(おにやらい=ついな)の行事では、桃の弓に葦の矢を番えて鬼を払う形がある。(延喜式にもその記載がある)
* 注21:巨石で黄泉国との境界線を塞ぐのは、巨岩の持つ霊力で他界(黄泉の穢れ)からの悪霊邪鬼の侵入を阻止する事を意味する。これは、「塞ぎ神(さえぎのかみ)=道祖神」信仰に基づいている。古代、日本にはかなりの巨石信仰があり、それは熊野や出雲などを中心によく見られる。この巨岩を挟んで、伊耶那岐と伊耶那美は、離縁と生死の決別をも意味する罵り合いをする。ここで、やっぱり特筆すべきは伊耶那美について。彼女は、もちろんこの国生みをし、数多くの神を生んだ母神であり、その「出産」の象徴だけど、同時に黄泉において「死」を司る神でもある。生も死も一身で司る神様(しかも女神)は、世界的に見ても多くは無い。よっぽど強い母系社会だったんだろうね〜。比べて伊耶那岐の情けない事…彼は一体何をやってみせた神様かよくわからないでしょ?つーか、もう最後の最後までバカップルでしたね(^_^;)
* 注22:ここで伊耶那岐の装身具から生まれた神は12神。前半6神は陸路の神、後半は海路の神である。又、前半の6神は伊耶那岐が黄泉より逃げ出した時の話しと対応していると考えて良いと思う。道の神・追ってから逃げる時間稼ぎをする神・労苦の神・タケノコや山葡萄の飽食の神というように解釈が可能。後者は、腕輪や手っ甲に用いられた真珠などの宝玉の原産地が海であることから、それにまつわるものを神々として神格化した。もうこれは、そいういった宝玉とかが沢山捕れますようにという、単純な祈願が見受けられる。
* 注23:ここで誕生している2種の禍津神(まがつかみ=災いをもたらす神)は、伊耶那岐の禊ぎによって成ったのではなく、伊耶那岐が黄泉の国から運んできてしまった神。伊耶那岐に憑いてきたが、それを外に放出したのは水の持つ霊威である。結果的に、この2神は黄泉と水中において二度化成したこととなるかな?何についての災いではなく、災いそのものの根源たる神様がこの2人(?)当時禍は、汚れから成るものと考えられていた証拠。死者の国は汚れでしかないって事は、やっぱり死を全面否定しているのか、寿命を全うできない死を畏れたのか微妙。多分全部だろうけどね。
* 注24:阿曇(あづみ)は氏(うじ)、連(むらじ)は姓(かばね)。彼らは吸収の志賀の島を本拠地とした海人(あま)族。天武十三年に宿禰(すくね)の姓を賜るので、連の姓はそれ以前の事となる。なんでこんな事をあえて注釈に入れたかと言うと、それだけこの地域、又は海人族の島というものが重要拠点であったことの証明だから。古事記が編纂もしくはその記述にある事柄が起きていた頃、この国の文化の中心や政治の中心、外交の拠点が何処かって言ったら、絶対に九州です!古事記や日本書紀の記述がどれだけ九州に偏っているかを、何で日本の考古学や歴史研究家が言わないのか、私は不思議でならない。そりゃ、今となっては九州の福岡市北区志賀町なんて言われて分かるのは、地元のの人だけだろうけどね(^^ゞ
* 注25:禊の結果、日本で恐らく最も有名な日本神話における三貴神が誕生する。この三神は中国の盤古説話と対応させられて考えられている。すなわち天照大御神=太陽、月読=月、須佐之男=嵐に相当するが、神代記では須佐之男を除き文化神的性格に記されている。三貴神は、各自の国の領有支配を委任される。この形式は他でも気付いた人も多いはず。そう、ギリシア神話のゼウスやポセイドン、ハーデスの3兄弟の統治分担とよく似ているでしょう?成立年代を考えるとやはり1番古いのは間違いなく中国なんだけどね(^^ゞギリシャまで盤古説話が伝わったと言うのは、当時であっても十分考えられる範囲。シルクロードあったしね。しっかし、太陽も月も女神って、本当に日本は母系社会基盤が強かっただろう事が伺える。当時の日本に「暦」という概念が何処まであったかは不確かだけど(方位も平城京たる奈良文化に至るまで、北と南にたいする概念がほとんどなかったんだよ〜)あったとしたら、それは絶対に太陰暦。要するに月の満ち欠けから月日を割り出すもの。日本は結構昔から気候がいい所(人間にとって生活しやすい気候という事)だったので、太陽も月も悪魔にならずに済んでいる。砂漠などの乾燥地帯に行くと、太陽=悪魔だからね〜恵みと情緒をもたらし、旅や移動にとって欠かせないものが「女」に象徴されているのが大変興味深い。昨今では、天照はモーターヘッドを作ったり、ダイバーとエイリアスで挑んでみたり、月読は裏高野にいたりと、随分事情があるようだ(爆)
* 注26:伊耶那岐は、天上の王権の象徴としての御頸珠(勾玉)を天照に授ける。これはその下文に御倉板挙とあるように、稲霊の象徴でもあったので、天照は高天原の領有支配者になると同時に穀霊としての性格が付与されることとなった。次の月読は夜の国の支配を委任される。本文では「なが命は、夜の食す国を知らせ」とあるように「食す国=治めるべき国」の意味。月読はそのまま「暦」を掌る神としての性格を持つ。もちろん注25で書いたとおり、当時は太陰暦。(現在は太陽暦)次の須佐之男が海原を領有支配するのは、嵐の発生源は海原と考えられていた事によるためだろう。(台風でも低気圧でも海からやってきて日本列島に上陸するのは気象学的にも正しい。台風の発生理由や、メカニズムなんてまだ完全には判ってないんだから、当時とたいして考え方変わってないかも知れない)
* 注27:原文では「八拳須(やつかひげ)、心前(こころさき)に至るまで〜」とあり、「こころさき」とは心臓付近の事で、顎鬚が長くここまで達しているとは成人に達した年齢になっている事を意味している。彼の泣き叫ぶ姿の凄まじさが現すものは、涙のほうに水分が取られて、青山は枯木の山になり、河海の水も無くなってしまう事。嵐神としての荒ぶる性格を表現する。山津波・洪水の表象。
* 注28:最後の最後まで唐突な神様だった伊耶那岐。彼はここに鎮座した後は一切古事記にも日本書紀にも記述としてもも言葉としても現れない。ちなみに鎮座している場所は、滋賀県犬上郡多賀にある多賀大社。神代記では淡路島津名郡多賀と伝える。実の息子を世界から追放しておいて、いきなり隠居とは何の前触れもなく突然引退した某細川元首相はこれに習ったのかも知れない。(苦笑)
* 注29:これはそのまま須佐之男の嵐神的性格を現している。ちょっと角度的に面白いのは、昔の人々は「嵐=地上の出来事」というもの。世界的に見ると「嵐=天罰的に天より下されるもの」という概念が一般的だから。この須佐之男の記述から読み取れるのは、嵐というものは地上から天に昇っていくもの、下から上への現象だと考えられていた事。逆に言えば、古代期において、日本では「天」と言う概念が希薄。何でも陸続き、海の向こう的で天から来るものって、それほど気にしてない節がある。これは支配階級というもの、もしくは身分制度というものがあまり無かったとも考えられる。
* 注30:「勾玉」について一つ。勾玉のあの形は、動物の牙に由来しているという説が有力。翡翠や、水晶などの玉(ぎょく)から作られた。ここで天照が500の勾玉を付けたと言う記述は、とにかく数が多い事を意味しておりそれらを長い緒で統べ括られているとは、高天原の権威と呪力を象徴している。しかし、天照も自覚のあまり無い神様である。須佐之男が本気で戦いに来たなら、大将が先頭にたって待ち構えているなんて戦略的に頂けない。また天を治める神様だというのに、共の者とか天界にだって一人はいそうな武神に関する記述がないのもおかしい。あくまでも「サシで勝負」がこの頃から日本人の美徳だったのだろうか?
* 注31:本文では「あは邪(きたな)き心なし」という記述があるが、「邪心」は仏典語。編纂者は仏典に通じていた事が読み取れる。既に仏教の影響がこの古事記にもあるのだと心に留めておいて欲しい。意味的には宗教的な「邪心」でなく、王権に対する忠誠心の反対語として使われている。当時の善悪に関する価値観が覗けるようで面白い。見方を変えれは、王権にさえ反しなければ特別「悪事」ではないとも取れる。今で言われる「倫理」的な善悪の概念はもう少し「儒教」と「仏教」が浸透しないと出てこない。
* 注32:この産まれてくる子供の性別で、善悪を確かめるのは古代の卜占(ぼくせん)の一種。あらかじめ神に誓約したとおりの結果が現れるかで、神意を占う。ここで産まれた三女神は、有名な「宗像三女神(海と航海jの女神)である。玉と剣は誓約(うけい)の呪具であり、誓約という呪儀から産まれると言うことは、その誕生が神異であることを意味している。天照によって三人女神、須佐之男によって五人の男神が生まれた。(須佐之男に関しては、二人で生んだのではなく含んだ霊水を己の装身具に吹き付けることで成った神)ここでは、女神が成ったことで須佐之男に邪心なし、と証明・解釈された。誓約後の出産が卜占の対象であるのは興味深い。男は争いの種になるというのは、「相続権が男子のみ」という規定が設けられてからでこの当時は関係ないはずである。やはり女上位の母系社会だったからか?